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私はこの動画の成田新十郎先生の動きを見て、どうしてもこの動きの根拠となるものを知りたいという強い衝動が起こりました。

それは、なにか身体的操作を覚えれば体現できるのか、先生に触れて、受け身を取り続け、技のようなものを習えば出来るものなのか、個人の感性や力量に依存する、もしくは門外不出の極意があり、なかなか教えてくれない慣習の稽古内容など、とてもネガティブな思考のもと不安な気持ちで当時まだ稽古されていた道場へ足を運びました。成田先生に触れてみて、驚愕しました。

成田先生から技を受けた時の質感というか、空気感というか、そういうものが瞬間的にかわる。

同時に自分が崩れていることに気付く。そして、次の瞬間投げられている。

理解不能と同時に笑いがこみ上げてきました。

 

この無元塾でお伝えしている合氣道は戦前に日本武道の統制、振興と教育の為に設立された政府の外郭団体の日本国武道の総本山である大日本武徳会のなかで制定された合氣道の系統をひくものです。

それは、植芝盛平翁先生によって、大日本武徳会に推薦された平井稔先生が作り上げた武道です。

2人は、お互いの武道的考え方に意気投合し、岡山から東京へ呼び寄せるほどの関係性であったということで、技や考え方に類似点が多数あります。

戦後、平井稔先生は現合気会の組織拡大に貢献された植芝吉祥丸先生と少し違う切り口で合氣道を伝えることに なります。

 

その平井稔先生の教えを真摯に継承されてこられた成田新十郎先生のもと行われてきた稽古は、日本古来の武道の本質を”立体球のイメージ”で喩え、”入身”、”抜け”、”浮き”、”開き”、”腰回し”、”中心帰納”など、抽象度が高い表現で伝わってました。それは受け手の考え方や価値観、経歴などにより解釈に幅が出て、それを再現するには、難易度の高いものです。無元塾では、それらを理解、感得するために、心理学、脳科学などの認知科学的な解釈を使って、一貫性のある理解ができるように説明することを努めています。

 

 そして、その理解に沿った武道的身体感覚と操作を稽古します。

 本質のハタラキによって現れる、ある質感(クオリア)を再現し、その質感があるが故に起こる様々な現象、ひいてはこの合氣道の1つの目標である”合気”というものも、そのハタラキのプロセスに起こるイチ現象であるということを実感すことができます。

 

 それは、触れていても、離れていても現れる普遍的な現象であるということも理解することができることになるでしょう。

 

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伝えていくために


ここの成田伝合気道を続けていて分かったことがいくつかあります。

 

それは、非常に伝えることが難しいということです。

 

皆さんに伝えるときにどう伝えるべきかということを考えて、実際に伝えてみて切実に感じたことです。

 

その理由はいくつかあると考えるのですが、

 

まず、現実として平井先生が伝えようとしたことが実際光輪洞合気道には残っていないという事実です。それは実際にそこに属する人たちの証言で分かります。

 

驚いたことに、言葉すら残っていない可能性もあるということです。

 

中心帰納や腰回しの発現するための稽古をされておらず、ひょっとすると、信じてすらしていなかった可能性もうかがえます。

 

つまり、平井稔先生の一番伝えたかったことを体得したのは成田新十郎先生だけだったのです。

 

それは、我々の想像を絶する努力をもって、ここの合気道の膨大な教え、考え方を整理され、自分の中に落とし込まれたからだと思うのです。

 

それは出版されている2冊の本の元となった、メモとして書き残され、整理されてまとめられた冊子の量を見れば理解できるのです。

 

つまりここの合気道のことだけでなく森羅万象に関わる一貫した法則を、この合気道を通して見出し、腑に落とすことが出来たのだ考えるのです。

 

その冊子を極意書として拝読させてもらっているのですが、

その内容は、独特の言葉が多数出てくる上に、その裏にたくさんの意味を含ませたメタファー的な表現なので、読んでいて思考が停止状態になり、継続して読みづらいのです。

 

そして、その難解な教えを理解する為に、それを再現できるように稽古をする。

 必然的に、そういう流れになっていきます。

 

しかし、

 

答えがあってその再現性の為の教えを学んでいくというだけのプロセスでは

なかなかうまく身に着けることが出来ないのです。

 

僕はよく強い、弱いではないといいます。

そして出来る出来ないでもないとも言います。

 

出来るか出来ないかは頻度の問題であって、それ以上に求められるのは、

その教えを一貫性をもって腑に落としているのかということと、

会得したという確信が自分の中にあるのかということであり、

あとはそれを深めていくだけだと考えています。

 

 逆にそういう確信がなければ教えることは難しいですし、教わる方も不幸なことだと思えるのです。

 

話をもとに戻します。

 

伝えていくという作業に必要なこと。

 それは下記の二つだと考えています。

 

ひとつは、

 

中心帰納や、腰回しの質感をもって行われる技を体感した後で、

そして極意書をもとに様々試行錯誤をする。

そのプロセスの中である視点を設け、

また、それをどう処理していくのかという作業を

伝える側が理解している必要があるということ。

 

そしてもう一つ、

 

これは、伝える側が踏み込めない領域にはなりますが、習う人がどう1人稽古をするのかということです。

 ここの合気道は1人稽古の重要性があるということです。それはここでは詳しくは書きませんが、

 

その1つが8つの体捌きです。

 

その8つの体捌きは形だけをやっていてもあまり意味がありません。

 それを行うことで同時に構築していく、自分の中にある考え方と感覚を理解することが重要なのです。

 自分の中でここの合気道の考え方を整理して整合性を持たせること、そして自分である感覚を深めていき、そしてここの合気道の稽古時に同じであると厳密に、一致符合させる作業がとても大切なのです。

 

でも、そんなことは無意識にでもやっていると言われそうです。

 

そう、無意識にやっているのです。

 大概、ほとんどの人は、無意識的に自分に都合のいい、

心地よい考え、感覚にすり替えて一致させようとしているのです。

 

それをどのようにして正しい方向にもっていくのか、、

 

それが伝える側のノウハウになるのです。

 

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中心帰納・腰回し・入り身の真という概念(コンセプト)と質感を学びます


日本だけでなく、世界中どこの武道を探してもこれら概念を打ち出している武道、格闘技を知りません。 これらを体得することで、合気や、呼吸力や、相抜けなどの現象を実感することが出来ます。つまり、これらののベースにあるエッセンスといっても過言ではありません。

無意識に体現している人はいると思います。 でも、概念的に認識していなければ、言葉で説明することができませんし、合理的に教え伝えることができません。

 

感情で表現すれば”愛”なのかもしれません。

質感で表現すれば”和合”ともいうかもしれません。

視覚で表現すればおそらく”写し目(観の目)”でしょう。

 

 無元塾ではこれらの感覚の感性をできる限り言葉で説明し、 再現することが出来るように稽古します。思考は直前の出来事の後悔で心を砕き、次の瞬間が見えないことで挙動不審になります。

 大概の人は、その思考に翻弄され、本来の自分の領分外のことに精神的エネルギーを注いでいます。

 そんなときは、体のどこかに力が入っていて、緊張している状態にいるのです。

それを自分の意識の置き所を認識することで起こる感覚、感情、思考を見ていきます。

 

 ただ留まっているのではなく、その時は静中動であり動中静であるという意識でいます。

 それらを一方向だけでなく、様々な角度で検証をしていきます。

 稽古のなかでそれを体感、体験していきます。

 


受け身


一般的には、畳に対して身体的に円く回転して投げの衝撃を緩和する身体操作のことですが、ここではそれだけでなく、もっと広い意味で解釈します。

相対する相手の攻撃の意図やイメージしている攻撃の形や方向性を感じて、その時に生じる自分の感情や感覚も受け入れて受け身を稽古します。

 


姿勢を整えます。


相手を倒すチャンスが伺えると、ヤル気が出て前方に傾きます。

相手の攻撃を待って、見てから対処しようとすると後ろに傾き、押し込まれてしまいます。

いずれの場合も体のどこかに緊張が生まれ崩れが起きています。

相対する人との相対的な関係性のなかで起こる緊張に気づき、体の中心軸を重力を感じて真直ぐにすることを理解し、感じることを勉強します。


8つの体捌き


最初は、7つだったということです。

それに、何らかのプロセスが加わり、8つになりました。

平井先生が岡山県と鳥取県の境にある明地峠(あけちたわ)という所で、剣と体術の稽古の結果、決して技法の切り口で成り立ったのではなく、自然との一体感(落ち着いた自然環境に溶け込み)、静寂感(その異常な落ち着きというものを感じ)、つまり瞑想的なインスピレーションの中から「体捌き」が出来たということです。

 「本当の会得というものは殺されてみなければわからない。でも殺されたら稽古にならないので、柔軟に円を型取ってやりながら稽古をする。」という平井先生の言葉が残っています。兵法はつつがなく無理なく心なごやかに生きて死んでいく、しかし本当にやるときは殺される可能性があるという心構えが必要であるという思想のもとこの体捌きをやる。そこで円の理、円転無窮を追及していく。

 つまり、この合氣道は「体捌き」を母体とし、無手の場合は体術、剣を持てば剣術、杖を持てば杖術、鎗をもてば鎗術と、それぞれが自由に使いこなせる「母体武道」であり、またその理想は、自然心としての柔らの思いがそのまま自然な技として現れるようになります。

 

まずは、別ページの動画をご覧ください。→クリック

 


代表紹介


1962年生まれ、合氣道を始めるキッカケは子供に合氣道をならわせ始めたことでした。小さいころから格闘技に興味はありつつも、そこまで踏み込む勇気がなく、ウェイトトレーニングをすることでその気持ちを昇華していました。かなりヘビーウェイトでトレーニングして20年ほど 続けました。体力的にはかなり自信がありましたが、子供の教育の為にと始めさせた、駅前の合気会道場の先生に歯が立たず、子供より自分のほうが合氣道に傾倒していきました。

当然ながら最初は型を覚えることと、合氣道的な動きを身に着けるまで5年程そこの合氣道に没頭することになります。性格的に好きなことは突き詰めるタイプですので、解決できない疑問に対して外に解決策を求め始めました。その一例がロシア武術のシステマを習うことでした。そうしているうちに大日本武徳会系統の合氣道との出会いがありました。

そういう別の世界を見ていくと、センシティブな稽古や、そういう稽古システムだけにとどまらず、弁証法的、禅的、心理学的、あるいは脳科学的などの側面からのアプローチの重要性を感じずにはいられませんでした。

さらに幸いなことに、並行してクラニオセイクラル・バイオダイナミクスというセラピーや瞑想を習っていたことによるためか、、人を殺めるところから始まった武道の先達の人たちが、悉く人を活かす考え方や、相手や自然との一体感を表現し始めるという、、そういうことが比較的違和感なく自分の中でつながっていきました。

そうしているうちに、自分のなかで、化学変化というか、ある質感に行きつきました。

それは、すべて根本は同じであると気がづいたことです。

合氣道も、セラピーも、瞑想も、カウンセリングも、きっとあらゆる整体やボディーワークも、おそらく他の武道も、あるひとつの質感のもと行わないと立ちゆかな い。そうでないと単なるテクニックの収集家となってしまう。

自分に関して言うと、どれか一つだけを習っていてもそこには行きつかなかったと思います。

それぞれがヒントになりキッカケと なって確信にいたりました。

その質感はこれからも純度を高めていかなくてはいけないと考えます。

そして、その質感を表現して皆に伝えていく。。

それが自分にとってこれからの人生の目標となりました。

 

母体武道 合氣道 無元塾 代表 白石太志

 

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